真田太平記

第18回 秀吉死す

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あらすじ

慶長3年(1598)8月、秀吉は、家康ら五大老に「秀頼のこと、くれぐれも頼む」と遺言を残し、石田三成ら五奉行には「秀頼に忠誠を尽くす」という誓詞を書かせて生涯を終える。真田の忍び・お江は真田幸村に、「家康はいよいよ牙をむいたように見える。必ず少しずつ進みます」と告げる。そんな中、従弟・樋口角兵衛は家康方の甲賀忍びに利用されてしまう。真田家は、秀吉の死により、再び時代のうねりに飲み込まれていく。

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『真田太平記』の動画一覧

本編

第21回 決裂犬伏の陣

第21回 決裂犬伏の陣

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慶長5年(1600)6月、上杉討伐に出陣した家康に応じ、真田軍も徳川軍と合流すべく碓氷峠を進軍。同じころ、近江佐和山城で隠居していた石田三成が上杉景勝と手を結び、家康を倒すために決起。三成の密使から西軍決起の報を受けた真田昌幸は、恩義のある景勝に味方し家康に反旗を翻す決意をする。嫡男・信幸は家康に従う信念を貫き、真田父子は敵味方に別れることになる。
第22回 信幸懊悩(おうのう)

第22回 信幸懊悩(おうのう)

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下野国犬伏の陣において、真田信幸は家康に従う信念を貫き、苦悩しつつも父・昌幸、弟・幸村と袂(たもと)を分けた。徳川方の諸将は、「いつ裏切るか知れたものではない」と信幸に冷たい視線を向ける。しかし、家康は、信幸の忠誠を信じ、沼田に戻って次の命令を待つよう言い渡す。また、真田本家の決断を聞き、忍びたちが動き出す。忍び・お江は、幸村の元を訪ね、家康と刺し違えるつもりだと告げる。
第23回 故郷敵地

第23回 故郷敵地

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慶長5年(1600)8月、真田信幸は、徳川秀忠軍と合流し、中仙道から美濃へ抜けよという命令を受ける。秀忠は信幸を使者に立て、真田昌幸に上田城明け渡しを迫る。昌幸は息子の勧めならばと快諾し、三日間の猶予を申し出る。しかし、それは秀忠軍を上田に引き留め、関ヶ原への参戦を遅らせる策略だった。昌幸に翻弄された秀忠は怒り、上田城への侵攻を決める。こうして、信幸は故郷を攻めねばならなくなる。
第24回 激闘上田城

第24回 激闘上田城

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慶長5年(1600)9月、徳川秀忠は真田昌幸の謀略に怒り上田城に侵攻。上田城の前線基地・砥石(といし)城にいた昌幸の次男・幸村は、先頭に兄・真田信幸の姿を見ると、兄の面目を立てて一戦もせずに引き上げる。秀忠は幸村が恐れて逃げたと思い油断する。翌朝、昌幸は秀忠軍を奇襲、上田城へ誘い込んでは巧みに撃退する。その結果、秀忠は関ヶ原に遅参し、家康から激しい叱責(しっせき)を受けることとなる。
第25回 家康襲撃

第25回 家康襲撃

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慶長5年(1600)9月、岐阜城を出た家康は、一路赤坂へと軍を進める。美濃では真田の忍びたちが、家康の首を狙っていた。家康の一行に紛れ込んでいた忍びのお江は単身、長良川を渡る家康を急襲。しかし、今一歩のところで、甲賀忍者・猫田与助に阻まれる。真田昌幸は「忍びの者なら、家康の首を取るに違いない」と期待していたが、家康の影武者に惑わされ、襲撃はことごとく失敗。家康は、石田三成のいる大垣城にたどり着く。
第26回 決戦関ヶ原

第26回 決戦関ヶ原

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慶長5年(1600)9月、東西両軍が集結した関ヶ原で、戦いの火ぶたが切られた。数万の軍勢がひしめく混乱の中、家康率いる東軍は苦戦を強いられる。しかし、小早川秀秋が裏切ると西軍は総崩れとなり、石田三成は敗走。真田の忍びの頭領・壺谷又五郎は、家康の首を狙い本陣へ突撃するも、家康方の忍びに阻まれ相討ちに。西軍は大敗し、真田昌幸の野望はむなしくついえる。家康は再び大阪城に入り、諸大名の処分を開始する。
第27回 切腹命令

第27回 切腹命令

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東軍・家康の戦後処理は厳しく、真田信幸は、敗者側の父・昌幸と弟・幸村の切腹を覚悟していた。しかし、義父・本多忠勝は、家康に信幸の徳川家への忠誠を説き、真田父子の助命を懇願。主君にさえ一歩も引かぬ忠勝の気迫に家康が折れ、昌幸と幸村は紀州・九度山へ蟄居(ちっきょ)と決まる。信幸は、二人を送り出す役目を命じられる。真田の忍びたちは、頭領・又五郎の亡きがらを見つけ、又五郎の死を知らされた昌幸は涙する。
第28回 さらば上田城

第28回 さらば上田城

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上田城を与えられた真田信幸は、名を「信之」と改め、家康への忠誠を誓う。一方、父・昌幸と弟・幸村は配流先の紀州・九度山へ旅立つ。出立前夜、幸村の元に現れる忍び・お江。そして、慶長10年(1605)4月、家康は息子の秀忠に将軍位を譲る。隠居した家康は、大坂城の豊臣秀頼に再三の上洛(じょうらく)を要請するが、実権を握る母・淀君が拒絶し一向に応じない。関ヶ原の戦いから5年、新たな火種がくすぶり始める。
第29回 闇の渦

第29回 闇の渦

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慶長15年(1610)2月、真田昌幸・幸村父子は、配流先の紀州・九度山で10回目の冬を迎える。表向きは徳川家への恭順を示しながら、忍びのお江らに天下の動静を探らせていた。京の室町で印判屋を装うお江は、京に浪人が増え、幅広い人脈を持つ才女・お通の屋敷に、人が頻繁に出入りする様子などから不穏な動きを察する。徳川と豊臣の対立が一触即発になった時こそ、世に出る好機と昌幸は踏んでいた。
第30回 暗雲九度山

第30回 暗雲九度山

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慶長15年(1610)秋、真田信之の義父・本多忠勝は信之に「真田家の存続を願うなら、幕府の命じたこと以外は動いてはならぬ」と言い残し世を去る。真田家に深い理解を示してきた忠勝という大きな後ろ盾を失い、父・昌幸と弟・幸村の赦免は絶望的に。そのころ、紀州・九度山では、昌幸が病に伏していた。忍び・お江は、真田家のため再び家康の首を狙うと決心するが、幸村は止める。そして、信幸の元に昌幸危篤の知らせが届く。
第31回 それぞれの悲願

第31回 それぞれの悲願

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慶長16年(1611)、加藤清正による徳川、豊臣の和解工作が功を奏し、豊臣秀頼は今は戦を起こさぬと決断する。前年暮れから病床にあった真田昌幸の落胆は大きく、日ごとに衰弱していく。真田の忍び・弥五兵衛は、真田家の無念を晴らすべく、忍び・お江の制止を振り切り、家康襲撃を志すも甲賀忍びに始末されてしまう。そんな折、東西の手切れの気配。昌幸は、真田の武名をもう一度天下にという悲願を、次男・幸村にたくす。
第32回 昌幸死す

第32回 昌幸死す

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慶長16年(1611)3月、5万の大軍を率いた家康が京に到着。家康からの上洛(じょうらく)の要請を拒んでいた豊臣秀頼の母・淀君も、加藤清正らの説得に折れ、二条城で家康と秀頼の対面がかなう。家康の予想に反して、19歳の堂々たる若武者・秀頼は京で絶大な人気を呼ぶ。その報に紀州の真田昌幸はほくそ笑むが、ほどなく、次男・幸村に夢を託して65年の生涯を閉じる。上田城にも報せが届き、嫡男・信之も一人涙する。
第33回 事件勃発(ぼっぱつ)

第33回 事件勃発(ぼっぱつ)

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真田昌幸が亡くなり、正妻・山手殿は嫡男・信之のもとへ引き取られた。信之は、いずれ九度山にいる次男・幸村も上田に呼びたいと考えていた。しかし、慶長19年(1614)秋、豊臣家が再建した方広寺の大仏開眼供養が中止となる事件が。家康は鐘銘の「国家安康」の文字が徳川家を呪(のろ)うものとし、大坂攻めの口実にしようとしていた。信之のもとには、本多忠政がやってきて、徳川家に疑われる動きをせぬよう念を押される。
第34回 時節到来

第34回 時節到来

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紀州の真田幸村のもとに、豊臣家と徳川家が、万が一戦になったら、味方として大坂入りしてほしいという豊臣家からの要請がくる。ついに真田本家再興の時が到来したと、幸村は赤備えの甲冑を手配する。家康は豊臣家に、豊臣秀頼の江戸への出府か、秀頼の母・淀君を江戸へ送るか、豊臣家が大坂を離れて他国へ移るか、いずれか一つを承服するようにと要求する。そして、信州・上田城の信之のもとに、豊臣家討伐の出陣命令が下る。
第35回 大坂入城

第35回 大坂入城

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慶長19年(1614)秋、方広寺鐘銘事件を巡り豊臣家と徳川家は決裂。真田信之のもとにも、豊臣家討伐の出陣命令が届く。信之は、出陣する息子らに対し、遠慮をしないことが弟・幸村への武士としての礼儀と伝え、兄弟力を合わせて戦えと送り出す。かつて幸村に仕えていた向井佐平次は、出奔し大阪へ向かう。一方、幸村は、妻の於利世(おりよ)と娘らを彦根の忍び宿に逃がし、忍びの佐助やお江、息子の大助と共に大阪城に入る。
第36回 真田丸

第36回 真田丸

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慶長19年(1614)10月、真田信之の嫡男・信吉を総大将とする真田軍が出陣。同じころ、家康も駿府を出発し、西へ向っていた。一方、大坂城では、城を出て先手を打つべしという幸村の提案を淀君がはねつけ、籠城(ろうじょう)と決まる。幸村は大坂城外に真田丸という出丸を築き始める。ここに徳川軍の主力を引き付けることが狙い。この話を聞いた信之は思わずほほえみ、ひそかに幸村の健闘を祈る。
第37回 冬の陣前夜

第37回 冬の陣前夜

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慶長19年(1614)11月、真田幸村の出丸がついに完成。幸村はこれを「真田丸」と名づけ、「真田家ここにあり」と内外にその名を示す。徳川軍は大坂城に迫り、家康は茶臼山に本陣を定める。家康は、幸村の存在を警戒し、将軍・秀忠に知らせず、密かに真田信之を京の二条城に呼び寄せる。東軍の攻撃が停滞すると、家康は自ら敵の陣形を確かめに行くと言い出す。その情報を得た真田の忍びたちは、家康の暗殺を試みるが、、、。
第38回 大坂冬の陣

第38回 大坂冬の陣

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慶長19年(1614)11月、大坂冬の陣の火ぶたが切って落とされた。出丸や砦(とりで)を破壊され、じりじりと城内へ追いやられていく豊臣軍の中で、唯一、徳川軍に打撃を与えたのは真田幸村だけだった。幸村は巧みな軍略で敵を真田丸へ引きつけて撃退する。しかし、徳川方の100を越す大砲による攻撃に淀君が恐れをなし、12月22日に和議が成立。真田丸は打ち壊され、大坂城の外堀も埋められることとなる。
第39回 兄弟再会

第39回 兄弟再会

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元和元年(1615)正月、家康は信之に、京のお通屋敷で幸村に会い、徳川方に加わるよう説得せよと命じる。信之には幸村を説得する意思はなく、生きているうちに一目、弟に会いたい一心から出向く。幸村もまた、兄に会いたい一心でやってくる。15年ぶりに再会した兄弟は、心ゆくまで積もる話に花を咲かせる。幸村は死を覚悟し、兄に最後の挨拶をするつもりだった。信之は、何故戦うのかと問いつつも、幸村の思いを悟っていた。
第40回 戦雲再び

第40回 戦雲再び

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元和元年(1615)4月、家康は、豊臣秀頼に大坂城を出て、大和郡山に移封せよという最後通牒(つうちょう)を突きつける。大坂方は、再戦を望む浪人衆を抑えきれず、幸村は次の決戦はそう遠くないと確信する。伏見に滞在していた真田信之は、小野お通のことが頭から離れずにいたが、家康から江戸へ戻るよう命令が下る。家康は名古屋で九男・義直の婚儀列席という名目で駿府を出て、ひそかに諸大名へ出陣準備を命じる。