お墓から見たニッポン(シーズン4)

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お墓から見たニッポン(シーズン4)

歴史の偉人たちのお墓を訪ね、お墓の歴史を通して忘れたくない日本の心を再発見していきます。

#1 戦国一の美女「お市」の覚悟とは!?再生
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#1 戦国一の美女「お市」の覚悟とは!?

『お墓から見たニッポン(シーズン4)』の動画一覧

本編

#1 戦国一の美女「お市」の覚悟とは!?再生
#1 戦国一の美女「お市」の覚悟とは!?
  • 24分 
  • 無料

天文16年(1547)、信長の13歳離れた妹として織田家に生まれる。 「天下布武」を目指す兄の命で、永禄10年(1568)頃、浅井長政と政略結婚するが、浅井家と兄の対立から居城の小谷城は織田軍に攻められ落城。最愛の夫を亡くす。その後、兄の庇護の元、三人の娘、茶々(後の豊臣秀吉の側室・淀殿)、初、江(後に2代将軍 徳川秀忠の妻)と共に暮らすが、天正10年(1582)、「本能寺の変」で兄・信長が明智光秀の謀反により自害。織田家の今後を決める「清洲会議」を経て、娘三人を連れて柴田勝家に嫁ぐものの、翌年、勝家が賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ、再び城攻めを受け、今度は夫・勝家とともに自害。享年37。
#2 光秀の娘という十字架を背負った「ガラシャ」

#2 光秀の娘という十字架を背負った「ガラシャ」

  • 24分 
  • 2日間 220 pt 〜

明智光秀の娘ガラシャ(たま)は、16歳の時に織田信長のすすめで細川藤孝の嫡男・忠興に嫁いだ。しかし、父・光秀が主君・信長を虐殺した本能寺の変で「謀反者の娘」という運命を背負うことになってしまう。 さらに彼女が心を痛めたのは、夫・細川忠興と舅・藤孝が父からの誘いを拒否したことだった。その悲しみからか、その後キリシタンに改宗したガラシャは、慶長5年(1600)9月の関ヶ原の戦い直前の8月25日、夫・忠興が徳川方についたため、石田三成はガラシャを人質にするため、大坂屋敷を取り囲んだ。ガラシャは、自分が人質になれば夫に支障が出るとして、その命を絶った。享年37。ガラシャの墓は大阪のお寺にある。一体なぜキリシタンのガラシャの墓が寺にあるのか?その謎に迫る!
#3 親の仇の側室に…「淀殿」その数奇な生涯

#3 親の仇の側室に…「淀殿」その数奇な生涯

  • 24分 
  • 2日間 220 pt 〜

父は浅井長政、母は信長の妹お市で、三姉妹の長女。 信長と敵対した父は自害。母と三姉妹は信長の庇護を受けるが、その信長も本能寺の変で自害…。母が嫁いだ柴田勝家は、秀吉との戦さに敗れ、母は 勝家とともに自害する。幼少期から悲劇が重なる茶々(淀殿)に、さらに運命のいたずらが…。二度の戦で両親を自害に追い込んだ仇である 豊臣秀吉の側室とされてしまったのだ。しかし、秀吉の世継ぎ・秀頼を産んだことで、淀殿の運命は大きく変わる。秀吉の死後、幼い秀頼の後見人となり豊臣家の全権を握ることになったのだ。しかし、慶長5年(1600)「関ヶ原の戦い」が勃発。石田三成からは、大将として秀頼に出陣してほしいと要請をされたが、秀頼はまだ7歳。我が子を守りたい一心で秀頼の出陣は認めず、三成は大敗。結果、徳川家康が強大な力を持つようになり、ついに江戸幕府が開かれ、徳川と豊臣の立場が入れ替わってしまう。その後、大坂城には全国の浪人たちが続々と集まり、豊臣家は「反徳川」の旗頭として担ぎ上げられてしまう。 最期は「大坂の陣」で息子秀頼とともに自害。関ケ原、大坂の陣での決断が自らの悲劇を招いてしまったという、 まさに戦国の時代に翻弄された生涯だった。

『お墓から見たニッポン』シリーズ