小さな旅
[お試し] こころの各駅停車 ~岩手県三陸鉄道~
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岩手県の釜石駅から盛(さかり)駅まで、36キロを結ぶ三陸鉄道南リアス線。車窓には三陸海岸の絶景が広がります。過疎化で乗客が激減し、赤字経営に陥った故郷の鉄道を守ろうと、歌と踊りで観光客を楽しませる駅長。鉄道の開通を誰よりも喜んだ亡き祖父の短歌にちなみ、駅名の変更を提案したホタテ漁師。二十余年、乗客を見送り続ける“駅の母”。海岸沿いを走る鉄道に寄り添って生きる人々を訪ねます。
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本編
原爆ドームのほど近く、広島市の中心地にある基町アパート。戦後バラックが建ち並んでいた地区に造られた巨大団地で4200人が暮らしている。住人の高齢化も進むが、ラジオ体操に集まる人は元気いっぱい。団地の片隅にある喫茶店を切り盛りする男性は、ご近所さんが困っていたらほうってはおけないという。そんな“昭和な雰囲気”にひかれて引っ越してきた若者も。変わりゆく広島の街に息づく、どこか懐かしい暮らしを訪ねる旅。
城下町として栄えた佐賀市。街を歩くと店先や通りに「えびすさん」。その数840に上る。江戸時代、多くの人とモノが行き交った長崎街道沿いに商売繁盛を願ってまつられ、広まったとも。毎日えびすさんにお茶を供えては、店が続くことを願う老舗和菓子店の店主。亡き夫の姿を重ねて語りかける女性。長い年月の間に欠けてしまった部分を修復する石材店の3代目。えびすさんを心のよりどころにして生きる佐賀の人たちに出会う旅。
新宿から電車で1時間、高尾山のお膝元・高尾は知る人ぞ知る梅の名所。春には1万本以上が花を咲かせ「高尾梅郷」と呼ばれている。その始まりは昭和37年。耕し手のいなくなった畑を梅林に。入学などの節目には家の庭にも。町の人が1本1本増やしてきた。定年後、ボランティアで梅の手入れをする男性。母の味の梅干しを作って故郷で暮らす喜びをかみしめる女性。満開の梅の下で遊ぶ子どもたち。思いをつなぐ早春の高尾を訪ねる。
太平洋の荒波が打ち寄せる茨城県鹿嶋市。2700年前から続くとされる鹿島神宮とともに、町の人たちは暮らしてきた。境内にある茶店で半世紀にわたって参拝客を迎えてきた女性。波が高くハマグリ漁が思うようにできないこの春、“神宮さん”を訪ねては海が穏やかになる日を願う80歳の漁師とその孫。鹿島神宮ゆかりの古武道も地元の人たちに脈々と受け継がれてきた。神宮さんに見守られ、春を生きる鹿嶋の人たちに出会う旅。
本州の西の端、山口県下関市。九州とを結ぶ「関門橋」が架かる街。昭和48年に開通した関門橋は全長1068mで、当時は“東洋一のつり橋”。物流の大動脈として日本経済を支えてきた。地元の誇り・関門橋を建設中から撮影し続けてきた男性。どんなに苦しいときも橋を見上げ、老舗旅館を守ってきた女将。関門橋を一望できるロープウエーを30年無事故で動かしてきた運転手。関門橋に思いを寄せて暮らす下関の人たちに出会う旅。
“花のまち”埼玉県鴻巣市。市内に150軒ほどの花農家があり、春にはズラリと並ぶハウスの中で色とりどりの花が咲き誇る。自分ならではの花を育てたいと情熱を燃やす父と息子。卸売市場には、地元の花に少しでも良い値がつくよう奮闘するベテランの競り人が。住宅街では、難病と闘いながら自宅の庭の世話を続け、知り合いを招くことを何よりの楽しみにする夫婦も。それぞれの心に花を咲かせながら暮らす鴻巣の人たちに出会う旅。
三陸海岸の南部にある宮城県石巻市雄勝町(おがつちょう)。複雑に入り組む海岸線に集落が点在する風景は“日本一美しい漁村”と呼ばれたことも。しかし東日本大震災後、海岸には巨大な防潮堤ができ、家々や商店は高台に移転。住民は震災前の4分の1に。それでも変わらないのは海の豊かさ。漁の灯を守ろうと奮闘する漁師。浜ごとに受け継がれてきた神楽を舞い続ける男性。ふるさとの海でたくましく生きる雄勝の人たちに出会う旅。
和歌山県北部、標高850mにある宗教都市・高野山。1200年前に開かれた真言密教の聖地。開祖である空海のことを山麓の人たちは“お大師さん”と呼び、その教えとともに支えあいながら暮らしてきた。田畑がない山の上の寺に野菜を届ける麓の農家。高野山に歩いて向かう人を癒やしてくれる喫茶店。住む人が減った集落に移り住み、風習を受け継ぐ家族も。お大師さんに見守られ、縁を未来につないでいく山麓の人たちに出会う旅。
福岡県の筑豊地方にある田川市。昭和30年代まで炭鉱で栄えたが今では人口もかつての半分以下に。そんな田川で大人から子どもまで参加して行われるのが「川渡り神幸祭」。450年以上前から続くとされる初夏の風物詩で色とりどりの山笠が市内を流れる彦山川を渡る。この祭りに参加したいと東京からUターンしてきた男性。子どもたちの笑顔が輝く街角の小さな総菜店。ふるさとを思い、地域のつながりを守る田川の人々に出会う旅。
千葉県の流山市と松戸市を結ぶ流鉄流山線。全長5.7キロ、色とりどりの電車が走る小さな路線は“都心にいちばん近いローカル線”と呼ばれる。実は流鉄、流山の人たちの出資で大正時代に開業した私鉄。以来108年、沿線の暮らしを支えてきた。幼い頃から流鉄ファンで憧れの運転士になった男性。流鉄を誇りに老舗を守り継ぐ女性。流鉄をきっかけにした住民同士の交流の場まで。流鉄を愛し、ともに生きる流山の人たちに出会う旅。
瀬戸内海に面する香川県三豊市仁尾町。町のシンボル・父母ヶ浜(ちちぶがはま)には潮が引くと広大な干潟が。潮だまりのそばに立って写真を撮ると…人物や空が水面に映って幻想的な1枚に。この風景に心ひかれ年間50万人が訪れる。浜には埋め立て計画が浮上したことも。それでも町の人がゴミ一つなく掃除することで守ってきた。ほかにも江戸時代から続く酢の醸造蔵や復活した塩づくりも。町の宝をつなぐ仁尾の人たちに出会う旅。
長野県のほぼ中央にある美ヶ原高原、標高2000mに「台上」と呼ばれる平らな草原が広がる日本百名山のひとつ。麓の人たちはこの山に心を寄せて暮らしてきた。かつて母と美ヶ原に登った松本市の女性は、認知症と診断された母に土産話を聞かせようと30年ぶりの登山。霧が多い台上で安全を守り続ける山小屋の主人。毎年恒例の登山に挑む地元の小学生。晴れの日も霧の日も、登山者の思いを受け止めてくれる美ヶ原の初夏を訪ねる。
栃木県の南東部にある益子町。素朴な風合いの益子焼で知られる焼き物の里。90年以上続く窯元には85歳の女性職人が。益子の粘土にこだわって静かに土と向き合い続けている。町のはずれには3年前に牧場がオープン。立ち上げから働く女性は、大地の恵みをいかした牧場づくりに汗を流す。東京からUターンしてアイガモ農法に挑む男性も。ふるさとの地にしっかりと足をつけ、一日一日を豊かに生きる益子の人たちに出会う旅。
四国の東部、吉野川の支流が作った三角州にある徳島県松茂町。古くから干拓を繰り返して農地を広げてきた町には、ふるさとをより良くするための開拓精神が根づいている。町で一番若い漁師は、岩ガキをとるだけでなく販路を広げる営業にも奮闘中。徳島空港の目と鼻の先にある工場は、未知の航空部品の分野に挑戦して大手航空機メーカーの部品を手がけるまでに。ふるさとの誇りを胸に、チャレンジを続ける松茂町の人たちに出会う旅。
静岡県西部、湖西市新居町。江戸時代から300年以上続く手筒花火は、浜名湖で分断されていた東海道をつなぐ渡し船の船頭たちの労をねぎらって特別に許されてきたものだ。花火の吹き出し口は1000度を超える。物おじせず、笑顔で手筒花火を抱えることが新居の男たちの心意気とされてきた。その花火に人生を懸ける男性。花火をきっかけに町に溶け込みたいと考える若者。陰から見守る船頭。花火に情熱を燃やす人たちに出会う。
玄界灘に面した福岡県福津市津屋崎。約8500人が暮らす港町だ。町には毎日のように潜水訓練をしている若者たちがいる。福岡県立水産高校の生徒たち。苦手だった水泳を克服し、潜水士を目指したいと福岡市内から1時間半かけて通っている生徒。水産高校を卒業後、後輩たちに海に潜る楽しさを教えたいと、津屋崎に戻ってきた教員。また、海をモチーフに地元で親しまれてきた土人形を作る人形師など。海に育まれる若者に出会う。
日本有数の港町、宮城県気仙沼市。リアス式の海岸沿いに40近くの漁港が点在する。お盆の時期、祖父から教わった「盆船」を手作りし、迎えた先祖の霊をお盆の後、海に送ってきた老漁師。自分を育ててくれた地域の人たちへの恩返しのため、東日本大震災の津波で流された地蔵を復活させた中学の美術教師。漁に出れば1年近く戻らない夫の留守を、仲間と支えあいながら守ってきた島のお母さんたち。祈りと生きる人たちに出会う旅。