「大河ドラマ 功名が辻(つじ)」の「第35回 北条攻め」をフル動画で配信中!
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画質についてあらすじ
京の町で千代は副田甚兵衛に出会います。秀吉の政略で、妹・旭を家康に嫁がせるために離縁させられた旭の元夫・甚兵衛です。そのころ、旭は死の床にありました。千代の働きで旭と面会した甚兵衛は旭に、「何があろうとも、わしらは夫婦じゃ」と語りかけます。旭はほどなく没し、甚兵衛もみずから命を絶ちます。一豊は秀次軍に属し、小田原の北条攻めへ出陣。秀吉得意のろう城戦に北条も開城し、一豊は遠州掛川五万石を賜ります。
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本編
一豊は馬市で見たみごとな馬に一目ぼれしますが、黄金十枚では手が出ません。それを聞いた千代は別の意味で驚きます。こし入れの際、養父から持たされた鏡箱の中身と同額だったのです。それを差し出し、「妻という役目で、この乱世をともに戦って参りとうございます」という千代。そのことばは信長から心が離れた濃の耳にも届きます。信長は一豊と千代を城に招き、「黄金十枚で天下に山内の名を売った」と千代の才覚を絶賛します。
光秀の妻から夫の不眠に効く薬草はないかと相談され、千代は胸騒ぎを覚えます。一豊は備中高松の秀吉から信長へ援軍を請う使者として安土に戻っていました。宴席で光秀は信長に罵倒(ばとう)され、領地召し上げのうえ、秀吉援軍の兵を出せという理不尽な命を受けます。光秀の出陣前夜、信長は本能寺に入ります。そのころ甲賀の忍び・六平太は千代に、長浜から逃げよと言います。天下を揺るがす争いが刻一刻と近づいていました。
光秀が本能寺に攻め入り、信長は鉄砲で応戦。傍らにはなぎなたで戦う妻・濃の姿がありました。しかし、光秀の目前で濃は銃撃されて絶命し、信長も自害します。長浜では六平太が千代に「光秀謀反の気配」と伝え、寧々(ねね)と千代は城下の人々を救うべく奔走していました。一方、備中高松にいた秀吉と一豊は、変事を毛利へ知らせる使者を捕らえて信長の死を知ります。全軍帰還の号令をかけ、秀吉の中国大返しが始まります。
3万5千の秀吉軍は1万5千の光秀軍を圧倒し、近江へ逃がれようとする光秀と一豊が遭遇します。「なにゆえご謀反を…」と一豊が尋ねた時、何者かの槍(やり)が光秀を襲いました。光秀は「そなたは耐えて生き延びよ」と一豊に遺言して落命します。一豊は光秀の首を取らず、山中に隠れる千代や寧々(ねね)たちを救出。千代は敗北者の運命の悲惨さを知ります。光秀の妻子は自害し、細川忠興に嫁いだ光秀の娘・玉は幽閉されます。
千代は清洲城の市に呼び出され、織田家のために柴田勝家に嫁ぐことを決意したと聞きます。勝家と秀吉はいずれ大戦となるので、これが今生の別れになるというのでした。備中高松、山崎での功により三千石に加増された一豊。山崎に近い土地に屋敷を移し、吉兵衛の指揮のもとに家来や女中らも新たに雇い入れます。ほどなく家中で、吉兵衛と侍女のたきが好き合っているといううわさが…。煮え切らない吉兵衛に千代が一計を案じます。
伊勢攻めへ出陣した一豊軍は亀山城を包囲しますが、敵勢の突破を許し、秀吉を激怒させます。たきへの恋慕で心にすきが生じた自分のせいだと吉兵衛。翌朝、吉兵衛は山内家の旗を背にすさまじい気迫で城壁を登り、敵陣の中に一番乗りを果たします。一斉に刃(やいば)を浴びた吉兵衛は「ご功名をあげ、国持ち大名になりなされ」と一豊に言い残し、壮絶な死を遂げます。知らせを聞いた千代はあふれる涙を止めることができません。
忠臣・吉兵衛を失った悲しみの癒えるまもなく、たきがひっそりと命を絶ちました。同じころ、勝家と秀吉が近江・賤ヶ岳(しずがたけ)でついに激突!一豊は三成ら若い世代を重用する秀吉に不満を覚えますが、戦いは秀吉の勝利に終わります。越前・北ノ庄城へ市の救出に赴いた一豊に、市は娘たちを託し、夫・勝家とともに自害。生き残った市の娘・茶々は、千代に「秀吉の野望を打ち砕くことが市の望みだ。手を貸せ」と告げます。
秀吉の論功行賞で、賤ヶ岳(しずがたけ)の七本槍(やり)と呼ばれる新世代が三千石以上に加増。同僚の中村は二万石、堀尾は一万七千石、城持ち大名に出世します。しかし、命がけで秀吉を守り、忠臣まで失った一豊はわずか三百石の加増で三千八百石。ふてくされた一豊は「城勤めをやめる」と千代に告げます。「出家する」と言い出す一豊に、母の法秀尼は「命を絶て」と一喝!一方、家康は秀吉につくか攻めるかを考えていました。
秀吉の大坂城築城は茶々のためと見た寧々(ねね)は、茶々の様子を探れと千代に命じます。同じころ、千代は若武者に成長した秀吉のおい・秀次と再会。一方、東国では家康が粛々と領土を広げていました。従属させようとする秀吉に家康が挙兵し、小牧山で衝突します。家康の猛攻に撃破され、秀吉のけん責を浴びる秀次を救う一豊。進撃を阻んだ家康は天下に名をとどろかせます。関白となった秀吉が一豊に、長浜城をやると言います。
一豊は琵琶湖畔の長浜城へ入城し、ついに二万石の城持ち大名となります。「婚礼の晩のお約束、お守りくださいましたね」と歓喜する千代。吉報は続き、本能寺の変以来、行方知れずになっていた一豊の弟・康豊が放浪の末に戻ってきました。幽閉中の光秀の娘・玉に助けられたというのです。その後、秀吉の取りなしで玉が細川家に戻ったことを聞き、千代は喜びます。そのころ、大坂城では茶々が三成を取り込もうと画策していました。
一豊は秀吉から家康を上洛(じょうらく)させよと命じられますが、家康に丸め込まれて交渉は頓挫(とんざ)。そのころ、長浜は大地震に見舞われ、城は崩れ落ちていました。千代はがれきの下からはい出し、娘のよねを探します。馬を飛ばして戻った一豊が見たものは、すでに冷たくなったよねと傍らに泣き崩れる千代の姿でした。最愛の一人娘を失い京の街をさ迷う千代は、切支丹(きりしたん)となった光秀の娘・玉と再会します。
上洛(じょうらく)を拒む家康の懐柔策として、秀吉は妹・旭夫婦を離縁させ、旭を家康へ嫁がせようとしていました。寧々(ねね)から話を聞いた千代は旭を長浜にかくまおうとしますが、秀吉は旭夫婦を巧妙に説得し、家康への婚儀申し入れを一豊に任じます。千代に騒ぎたてるなとの秀吉の無言の命です。家康は使者として訪れた一豊に、「関白の妹はいらぬ。千代殿をもらいたい」と難題をふっかけますが、結局、婚儀を受け入れます。
秀吉は九州攻めに出陣。留守居役の秀次とともに残された一豊はいらつき、弟・康豊と衝突してばかり。千代は一豊の母・法秀尼に相談しようと訪れますが、義母は病の床にあり、まもなく死去します。母の遺言を千代から聞き、一豊・康豊兄弟は泣き崩れます。一方、秀吉はバテレン追放令を発布し、光秀の娘で切支丹(きりしたん)の玉は孤立。玉をひそかに慕う康豊は打ち壊された南蛮寺を訪ね、ガラシャと名のる玉と再会します。
千代は捨て子をわが子として育てることを決意します。秀吉が聚楽第(じゅらくてい)に天皇を招くことになり、一豊と三成は慣れない世話役を務めます。寧々(ねね)が命じ千代が縫った打ち掛けは天皇に賞賛され、行幸(ぎょうこう)は大成功のうちに幕を閉じました。ほどなく、秀吉が側室に迎えた茶々(後の淀)が男児を出産。秀吉の養子・秀次に随行し祝いに訪れた一豊は、跡取りができたと言わんばかりの秀吉に危ぐを覚えます。
京の町で千代は副田甚兵衛に出会います。秀吉の政略で、妹・旭を家康に嫁がせるために離縁させられた旭の元夫・甚兵衛です。そのころ、旭は死の床にありました。千代の働きで旭と面会した甚兵衛は旭に、「何があろうとも、わしらは夫婦じゃ」と語りかけます。旭はほどなく没し、甚兵衛もみずから命を絶ちます。一豊は秀次軍に属し、小田原の北条攻めへ出陣。秀吉得意のろう城戦に北条も開城し、一豊は遠州掛川五万石を賜ります。
秀吉と淀の子・鶴松が急逝し、淀は寧々(ねね)による毒殺を疑います。寧々は否定しますが、千代に豊臣の跡取り・秀次を盛り立てよと告げます。悲嘆にくれる秀吉は明国への出兵を宣言。秀次へ関白を譲り、留守居の総大将としました。家康は出兵を固辞する一方、秀次を持ち上げて豊臣の分断を謀ります。秀次付きで出陣できず落胆する一豊に千代は、これからは槍(やり)働きより、人の心を読み解くことが功名につながると言います。
淀が再び秀吉の子(後の秀頼)を産み、豊臣家跡継ぎとしての関白・秀次の立場は危うくなりました。秀吉にとって邪魔な存在になったと理解しながらも、秀次は千代に「わしはこの国を譲り受けたのじゃ」と言い張ります。そんな折り、秀吉を朝敵とすべく秀次側が朝廷に献金したことが発覚し、側近らの血判状が秀吉に渡ります。寧々(ねね)に取りなしを願う千代に、寧々は「これ以上、関白に近づくと山内家が危ない」と忠告します。
秀吉への謀反を疑われた関白・秀次。申し開きをするよう勧める一豊に、側近たちが斬(き)りかかります。そこへ駆け込んできたのは、秀次が幼いころ、読み書きから武士の心得まで教えた千代。「出家なさいませ」という千代に、秀次は「関白として最後の務めを果たす」と言い、「天下は太閤だけのものではありませぬ」と秀吉をいさめます。怒り狂った秀吉は秀次を切腹させ、妻しょうや子らをすべて処刑。無常感を抱く一豊でした。
秀吉は秀頼の元服式で、家康に嫡男・秀忠の娘を嫁にと申し入れます。大老・前田利家はいさめますが、家康は表面上、恭順の態度を示します。一豊には秀吉の老いと強引さが印象に残りました。寧々(ねね)は千代に「秀吉亡き後、頼るべきは家康」と語り、淀は「寧々への追従は秀頼への謀反と同じ、千代の出方で一豊の身も危うくなる」と脅します。山内家安泰のために嫡男が必要と考えた千代。ある夜、一豊の寝所に美しい侍女が…。
朝鮮攻めから戻った福島正則、加藤清正らは秀吉の死に驚がくし、むだ働きの憤激を三成に向けます。家康は秀吉の遺訓に背き、諸大名との婚姻を進めます。千代と一豊に、「これからの豊臣は家康にすがらねば生き残れぬ」と寧々(ねね)。一方、三成は家康を糾弾し、反発した清正らは三成殺害の挙兵へ。三成救出へ動いた一豊ですが、どちらにつくべきか苦悩します。しかし、すべては天下を狙う家康の筋書き通りと千代は見抜いて…。
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一豊は馬市で見たみごとな馬に一目ぼれしますが、黄金十枚では手が出ません。それを聞いた千代は別の意味で驚きます。こし入れの際、養父から持たされた鏡箱の中身と同額だったのです。それを差し出し、「妻という役目で、この乱世をともに戦って参りとうございます」という千代。そのことばは信長から心が離れた濃の耳にも届きます。信長は一豊と千代を城に招き、「黄金十枚で天下に山内の名を売った」と千代の才覚を絶賛します。
光秀の妻から夫の不眠に効く薬草はないかと相談され、千代は胸騒ぎを覚えます。一豊は備中高松の秀吉から信長へ援軍を請う使者として安土に戻っていました。宴席で光秀は信長に罵倒(ばとう)され、領地召し上げのうえ、秀吉援軍の兵を出せという理不尽な命を受けます。光秀の出陣前夜、信長は本能寺に入ります。そのころ甲賀の忍び・六平太は千代に、長浜から逃げよと言います。天下を揺るがす争いが刻一刻と近づいていました。
光秀が本能寺に攻め入り、信長は鉄砲で応戦。傍らにはなぎなたで戦う妻・濃の姿がありました。しかし、光秀の目前で濃は銃撃されて絶命し、信長も自害します。長浜では六平太が千代に「光秀謀反の気配」と伝え、寧々(ねね)と千代は城下の人々を救うべく奔走していました。一方、備中高松にいた秀吉と一豊は、変事を毛利へ知らせる使者を捕らえて信長の死を知ります。全軍帰還の号令をかけ、秀吉の中国大返しが始まります。
3万5千の秀吉軍は1万5千の光秀軍を圧倒し、近江へ逃がれようとする光秀と一豊が遭遇します。「なにゆえご謀反を…」と一豊が尋ねた時、何者かの槍(やり)が光秀を襲いました。光秀は「そなたは耐えて生き延びよ」と一豊に遺言して落命します。一豊は光秀の首を取らず、山中に隠れる千代や寧々(ねね)たちを救出。千代は敗北者の運命の悲惨さを知ります。光秀の妻子は自害し、細川忠興に嫁いだ光秀の娘・玉は幽閉されます。
千代は清洲城の市に呼び出され、織田家のために柴田勝家に嫁ぐことを決意したと聞きます。勝家と秀吉はいずれ大戦となるので、これが今生の別れになるというのでした。備中高松、山崎での功により三千石に加増された一豊。山崎に近い土地に屋敷を移し、吉兵衛の指揮のもとに家来や女中らも新たに雇い入れます。ほどなく家中で、吉兵衛と侍女のたきが好き合っているといううわさが…。煮え切らない吉兵衛に千代が一計を案じます。
伊勢攻めへ出陣した一豊軍は亀山城を包囲しますが、敵勢の突破を許し、秀吉を激怒させます。たきへの恋慕で心にすきが生じた自分のせいだと吉兵衛。翌朝、吉兵衛は山内家の旗を背にすさまじい気迫で城壁を登り、敵陣の中に一番乗りを果たします。一斉に刃(やいば)を浴びた吉兵衛は「ご功名をあげ、国持ち大名になりなされ」と一豊に言い残し、壮絶な死を遂げます。知らせを聞いた千代はあふれる涙を止めることができません。
忠臣・吉兵衛を失った悲しみの癒えるまもなく、たきがひっそりと命を絶ちました。同じころ、勝家と秀吉が近江・賤ヶ岳(しずがたけ)でついに激突!一豊は三成ら若い世代を重用する秀吉に不満を覚えますが、戦いは秀吉の勝利に終わります。越前・北ノ庄城へ市の救出に赴いた一豊に、市は娘たちを託し、夫・勝家とともに自害。生き残った市の娘・茶々は、千代に「秀吉の野望を打ち砕くことが市の望みだ。手を貸せ」と告げます。
秀吉の論功行賞で、賤ヶ岳(しずがたけ)の七本槍(やり)と呼ばれる新世代が三千石以上に加増。同僚の中村は二万石、堀尾は一万七千石、城持ち大名に出世します。しかし、命がけで秀吉を守り、忠臣まで失った一豊はわずか三百石の加増で三千八百石。ふてくされた一豊は「城勤めをやめる」と千代に告げます。「出家する」と言い出す一豊に、母の法秀尼は「命を絶て」と一喝!一方、家康は秀吉につくか攻めるかを考えていました。
秀吉の大坂城築城は茶々のためと見た寧々(ねね)は、茶々の様子を探れと千代に命じます。同じころ、千代は若武者に成長した秀吉のおい・秀次と再会。一方、東国では家康が粛々と領土を広げていました。従属させようとする秀吉に家康が挙兵し、小牧山で衝突します。家康の猛攻に撃破され、秀吉のけん責を浴びる秀次を救う一豊。進撃を阻んだ家康は天下に名をとどろかせます。関白となった秀吉が一豊に、長浜城をやると言います。
一豊は琵琶湖畔の長浜城へ入城し、ついに二万石の城持ち大名となります。「婚礼の晩のお約束、お守りくださいましたね」と歓喜する千代。吉報は続き、本能寺の変以来、行方知れずになっていた一豊の弟・康豊が放浪の末に戻ってきました。幽閉中の光秀の娘・玉に助けられたというのです。その後、秀吉の取りなしで玉が細川家に戻ったことを聞き、千代は喜びます。そのころ、大坂城では茶々が三成を取り込もうと画策していました。
一豊は秀吉から家康を上洛(じょうらく)させよと命じられますが、家康に丸め込まれて交渉は頓挫(とんざ)。そのころ、長浜は大地震に見舞われ、城は崩れ落ちていました。千代はがれきの下からはい出し、娘のよねを探します。馬を飛ばして戻った一豊が見たものは、すでに冷たくなったよねと傍らに泣き崩れる千代の姿でした。最愛の一人娘を失い京の街をさ迷う千代は、切支丹(きりしたん)となった光秀の娘・玉と再会します。
上洛(じょうらく)を拒む家康の懐柔策として、秀吉は妹・旭夫婦を離縁させ、旭を家康へ嫁がせようとしていました。寧々(ねね)から話を聞いた千代は旭を長浜にかくまおうとしますが、秀吉は旭夫婦を巧妙に説得し、家康への婚儀申し入れを一豊に任じます。千代に騒ぎたてるなとの秀吉の無言の命です。家康は使者として訪れた一豊に、「関白の妹はいらぬ。千代殿をもらいたい」と難題をふっかけますが、結局、婚儀を受け入れます。
秀吉は九州攻めに出陣。留守居役の秀次とともに残された一豊はいらつき、弟・康豊と衝突してばかり。千代は一豊の母・法秀尼に相談しようと訪れますが、義母は病の床にあり、まもなく死去します。母の遺言を千代から聞き、一豊・康豊兄弟は泣き崩れます。一方、秀吉はバテレン追放令を発布し、光秀の娘で切支丹(きりしたん)の玉は孤立。玉をひそかに慕う康豊は打ち壊された南蛮寺を訪ね、ガラシャと名のる玉と再会します。
千代は捨て子をわが子として育てることを決意します。秀吉が聚楽第(じゅらくてい)に天皇を招くことになり、一豊と三成は慣れない世話役を務めます。寧々(ねね)が命じ千代が縫った打ち掛けは天皇に賞賛され、行幸(ぎょうこう)は大成功のうちに幕を閉じました。ほどなく、秀吉が側室に迎えた茶々(後の淀)が男児を出産。秀吉の養子・秀次に随行し祝いに訪れた一豊は、跡取りができたと言わんばかりの秀吉に危ぐを覚えます。
京の町で千代は副田甚兵衛に出会います。秀吉の政略で、妹・旭を家康に嫁がせるために離縁させられた旭の元夫・甚兵衛です。そのころ、旭は死の床にありました。千代の働きで旭と面会した甚兵衛は旭に、「何があろうとも、わしらは夫婦じゃ」と語りかけます。旭はほどなく没し、甚兵衛もみずから命を絶ちます。一豊は秀次軍に属し、小田原の北条攻めへ出陣。秀吉得意のろう城戦に北条も開城し、一豊は遠州掛川五万石を賜ります。
秀吉と淀の子・鶴松が急逝し、淀は寧々(ねね)による毒殺を疑います。寧々は否定しますが、千代に豊臣の跡取り・秀次を盛り立てよと告げます。悲嘆にくれる秀吉は明国への出兵を宣言。秀次へ関白を譲り、留守居の総大将としました。家康は出兵を固辞する一方、秀次を持ち上げて豊臣の分断を謀ります。秀次付きで出陣できず落胆する一豊に千代は、これからは槍(やり)働きより、人の心を読み解くことが功名につながると言います。
淀が再び秀吉の子(後の秀頼)を産み、豊臣家跡継ぎとしての関白・秀次の立場は危うくなりました。秀吉にとって邪魔な存在になったと理解しながらも、秀次は千代に「わしはこの国を譲り受けたのじゃ」と言い張ります。そんな折り、秀吉を朝敵とすべく秀次側が朝廷に献金したことが発覚し、側近らの血判状が秀吉に渡ります。寧々(ねね)に取りなしを願う千代に、寧々は「これ以上、関白に近づくと山内家が危ない」と忠告します。
秀吉への謀反を疑われた関白・秀次。申し開きをするよう勧める一豊に、側近たちが斬(き)りかかります。そこへ駆け込んできたのは、秀次が幼いころ、読み書きから武士の心得まで教えた千代。「出家なさいませ」という千代に、秀次は「関白として最後の務めを果たす」と言い、「天下は太閤だけのものではありませぬ」と秀吉をいさめます。怒り狂った秀吉は秀次を切腹させ、妻しょうや子らをすべて処刑。無常感を抱く一豊でした。
秀吉は秀頼の元服式で、家康に嫡男・秀忠の娘を嫁にと申し入れます。大老・前田利家はいさめますが、家康は表面上、恭順の態度を示します。一豊には秀吉の老いと強引さが印象に残りました。寧々(ねね)は千代に「秀吉亡き後、頼るべきは家康」と語り、淀は「寧々への追従は秀頼への謀反と同じ、千代の出方で一豊の身も危うくなる」と脅します。山内家安泰のために嫡男が必要と考えた千代。ある夜、一豊の寝所に美しい侍女が…。
朝鮮攻めから戻った福島正則、加藤清正らは秀吉の死に驚がくし、むだ働きの憤激を三成に向けます。家康は秀吉の遺訓に背き、諸大名との婚姻を進めます。千代と一豊に、「これからの豊臣は家康にすがらねば生き残れぬ」と寧々(ねね)。一方、三成は家康を糾弾し、反発した清正らは三成殺害の挙兵へ。三成救出へ動いた一豊ですが、どちらにつくべきか苦悩します。しかし、すべては天下を狙う家康の筋書き通りと千代は見抜いて…。